2024年3月 京都市南区東九条にて
「トンク」と呼ばれるこの地域は在日朝鮮人が多く住む場所として知られている。1920年ごろから京都近辺の大規模開発に従事するため、あるいは地場産業の担い手として移り住む人が多かったという。2024年現在では当時の面影を感じられる場所は少なくなってきている。
近年、京都駅周辺の開発が活発になっている。京都市立芸術大学の移転、観光需要の高まりによるハイブランドホテルやチームラボミュージアムの建設など、この数年で景色が一変してきている。元々この土地に住んでいた人たちは別の場所に住処を移したようだ。
これら一連の開発事業自体の是非を問うつもりはない。街の様相は流動的で、時代に合わせて変化し続けるものだと思う。北から南へ、京都全体の熱が移動してきているのだろう。
24年3月。現地を歩き撮影をしてきた。川沿いに近づくにつれて当時の面影を残す建物や人の営みがまだ確認できる。これから数十年、数百年先、トンクの歴史は何らか遺構や遺物として形を得て残るものはあるのだろうか。
一方で、その土地の記憶というものは目に見える形を持ってそこにありつづけるものではない。途切れさせてはいけないという切実さによって意識的に人から人へ引き継がれるものだろう。そうした人の思いは不可視なものとしてその土地を漂流し、沈着しているのではないか。
街が様変わりして表面的には過去につながるものが一掃されてしまったとしても「その土地の記憶や歴史」は「目には見えないが確かにそこにある」のではないだろうか。