「Who Gives a Thought」

KG+ 2024 No.097
Who Gives a Thought | Photograph Installation | 2024

映写機を用いた身体性を伴う鑑賞方法を展開。鑑賞者は小さなスクリーンを手に取り、展示空間内を移動しながら手探りで写真を鑑賞する。その場所に存在する「目に見えないが確かに存在するもの」に触れることで、不可視の存在、主観的な認識のフレーミング、他者との共有のしづらさを体験する。

20個の映写機を展示空間の壁面や階段など様々な場所に配置し、固定したスクリーンではなく中空に向くように設置した。鑑賞者はこれらの映写機に対峙して手持ちのスクリーンをかざすことで像を得る。暗い空間はカメラとしての機能を持ち合わせており、像を得る行為は外界の光をフォーカシングスクリーンに結像させるプロセスに近似している。鑑賞者はこの行為を通して自身がカメラの内側に入り込んでいるような錯覚を覚える。

目の前に存在する世界を等しく一様に認識できているというのは錯覚だ。誰もが見たいものに焦点を当て、見たいように切り取っている。切り取った場面の外側に何が存在していたのか、そんなことはすぐに忘れ去ってしまう。そしてまた、切り取った世界は容易に他者と共有できるという幻想を抱いている。なぜあなたはその場面を切り取ったのか、注意深く、繊細に他者と対話を重ねることでしかその輪郭を掴むことはできない。

私が観ている世界は限定的で恣意的にフレーミングされたものである。目の前の情報を等しくすべて受け止めることは難しい。

多様性の旗印のもとに新たな概念を生み出して知識を身につけ、時代に即して価値観を効率的にアップデートしようと試みてはいるが“私は目の前の情報のほんの一部を捉えることしかできない”という内省的プロセスを経た視点に立てなければ、受け取る情報を増やしたところで取りこぼされるものがただ増えていくだけではないだろうか。

誰もが自身の中に、安易に、即座に言葉にしえないようなものをもっている。時にそれらは“非効率的でわかりにくいもの”として、誰かに受け止められることなく亡き者にされてしまう。

映写機から投げかけられるイメージの全容を手探りで鑑賞する身体的行為を通して、切り取られた世界の外に在る知覚されなくても存在するものを観るものに提示する。

Who Gives a Thought / KG+2024 No.097
Open: 4.29–5.12 10:00–17:00
Closed: Wed.
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